2017年1月24日火曜日

重森記念館


吉備中央町の重森三玲記念館

山県上房郡吉川村(現・加賀郡吉備中央町吉川)の生まれ。当地には豪渓(ごうけい)と呼ばれる水墨山水画の世界を思わせる渓谷地帯がある。日本美術学校日本画を学び、いけばな茶道を習い稽古に励む。日本美術学校卒業後には東洋大学文学部に学ぶ。
大正6年(1917年)に画家の道を志し上京するが、全国から集まる才能に意気消沈する。昭和4年(1929年)京都へ移り住むと、翌年には勅使河原蒼風らと「新興いけばな宣言」を起草(当時は未発表)、いけばなの革新を世に提唱した。
その後は日本庭園を独学で学ぶ。昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより、研究家として日本庭園史のさきがけとなっていく。
昭和14年(1939年)、『日本庭園史図鑑』26巻を上梓して庭園史研究の基礎を築き、また昭和51年(1976年)には息子の重森完途と共に『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史研究家としても多大な功績を残した。
昭和24年(1949年)には前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰、後に前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊した。
三玲が作庭した庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされ、代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、瑞峯院庭園、松尾大社庭園などがある。
ウィキペディアフリ百科事典より


                昭和を代表する造園学者である重森三玲
                を顕彰する記念館です。 
                 寺院や神社の庭園を数多く

                  東福寺の庭園

                  西谷氏邸庭園
                                     斬新な庭園もあります。 吉備中央町出身で
                                  造園界の鬼才    岡山県にこのような造園
                   の技術者がいること知りませんでした。
                

1 件のコメント:

  1. 読ませて頂いて、独学で学ぶも芸術的才能は生まれた時からあるんでしょうかね。
    数々の立派な庭園を手がけられた造園学者が
    岡山県に居られたとは知りませんでした。
    写真を見せて頂いて、斬新な庭園もあるんですね。驚きました。

    返信削除