ボランティアガイドの案内により萩の歴史
を勉強しました。
吉田松陰わずか享年30歳(満29歳)の生涯でしたが
2年余りだったが明治維新の偉大な人を輩出した。
、著名な門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一
、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、
飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎などがおり
、総計で約90名余りが松陰の教えを受けたと言われている。
吉田松陰の生家 跡地
吉田松陰の墓
維新の三傑、桂小五郎のちの木戸孝充屋敷 周辺
桂小五郎と幾松 命をかけた幾松一世一代の恋
☆桂小五郎との出会い
京都の祇園際で無言詣りの最中、酔客にからまれている幾松を見て
、美麗な若侍が救いの手をさしのべた。、幾松はおりからの無言詣りの
最中で話をすることもできずに若侍は、名前も告げずにさっていった。
「この人だ、わたしの待っていた人は。きっとまた会える気がする。」
幾松のひとめ惚れであった。そう確信した幾松は、
やがて彼女の人生を左右するこの美麗な若侍が長州の桂小五郎
であることをまだしらなかった。このとき幾松20歳、小五郎30歳の夏をむかえていた。
祇園祭の宵山から10日あまりの後、、恋の病に憂鬱なひとときをおくっていた。
今夜のお客様は、対馬藩の大島友ノ介らしい。あまり気がすすまないうちにお座敷に
むかった幾松はお座敷の襖をあけて舞いながら登場するのだが、座の主客をみて歓喜した。
「会えた、あの人に。」・・・お座敷の主客が、桂小五郎だったのだ。小五郎も驚いたが
、幾松はうれしさに涙が止らず、思いをこめて泣きながらの舞になった。
やがて幕府に追われる桂小五郎を助けて見回り組に捕らえられ桂の居所をはけと
拷問にかけられたががんとして口をわらなかったと言われている。
高杉晋作も詣った神社
高杉晋作の像 享年27歳
高杉晋作顕彰碑文
「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し衆目駿然、敢えて正視する者なし」
萩は3回目ですが今回はボランティアガイドお願いしたお陰で大変勉強になり
3時間余り ボランティアガイドの、「まだまだ時間が足りないもっと案内したい
所が沢山あります」との言葉にまたゆっくり訪れてみたいと思いつつ名残を
残して帰路にき着きました。
明治維新、美作で活躍したのは安東鐵馬氏一人なのでしょうか?
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