2011年4月14日木曜日

邪馬台国山陰説

先日ももたろう塾13期生総会を蒜線ロマンの館で行いその節「日留山の古代史について」日留山歴史研究会事務局長岡村様より蒜線の歴史についての学び次に基調講演として 「邪馬台国山陰説古代日本史の中心は山陰地方だった」講師、古代史研究家 田中史也さんより講演を拝聴しました。

縄文時代は海水面が高かったことこの現象を「縄文海進」 今から1万数


千年前から2400年前までの、約1万年前後は氷河期の後の揺り戻し                  として の地球温暖化の為、海洋の熱膨張により海水面が上がっていた                  ことがわかったのです。 邪馬台国山陰説はこの地球環境変動(縄文                   海進)によって平野部が全て水没していた紀元前の約1万年間に渡って、                日本人は、物理 的に山か高台の地域にしか居住出来なかったことにより、                         海水面が後退し た紀元後8世紀にまとめられた文書にその当時の居住地                        を「高天原」 と呼んでいた現象が記載されて残されていたと考えています。


高天原は地球環境の変動による物理的な条件によって、客観的に実在し                た地域と言えるのです。 世界4大文明は「定住」によって起こりました。                                              定住の為には、大勢の人を長期間生存させることの出来る食料の存在


つまり豊富な食料があって、常に人々が暮らし続けることの出来る場所、


実は,  日本列島が世界中で一番自然環境が豊かで、生物多様性が


ある地域でその日本の中で山陰地方は北方種と南方種の双方の動植物


層が重なって存在することの出来る地球上で唯一の場所であることが


人類発の文明を発祥させる条件 となりました。つまり山陰地方では四季を


問わず365日絶 えず食料を調達出来たので結果として定住が実現し


、文明が発祥すること になったのです、大山~蒜線では、日本海側の


ブナと太平洋側のブナが 同時に重なって存在 しています。                                        高天原のエリアの中心は大山から蒜線の一帯で実際に多くの 古代人が                  住んでいたエリアは中国山地を中心とした一帯であると考える 。


この続きは  「さまよえる邪馬台国」 田中史也で著書は2008年に


出版されています。                茅部神社  天天照大神を祀っています。 蒜山には・天の岩戸別神社・ 王子屋敷、・四つ塚古墳・中世の豪族の 墳墓「五輪の塔」・天の安川・ 大宮神社など高天原、検証の現地を田中、 岡村様の案内により視察して日本人のルーツのロマンを感じる2日間でした。

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